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これは私と息子の中学受験までの記録
少子化だけど、中学受験者数は増えているらしい。
少子化だからこそ、一人の子にお金をかけられる=小学生から学習塾に行けるのではと思う。
あと単純に共働きの親が、家に一人で残すより塾に行っていてくれた方が安心…とかそういった面もあるのかも。
まあ勝手な想像に過ぎないのだけど。
本格的に、“難関校に絶対合格させたい!!“という層自体が増えているのだとしたら、中学受験は壮絶になっていると言えるけど…どうなんでしょうね。(独り言)
私が中学受験をさせたい理由
我が家は元々、『子供にはできれば中学受験させたいな』と思っていた。
それはなぜかというと、これを書いている私自身が中学受験をして、総合的に楽しかったからだ。
勉強もさほど苦じゃなかったし、5年生までは、やればやるだけ成果が出た。(6年生はみんな頑張るからランクは伸びないし新しい学習もなく、何事も新鮮さがなくてつまらなかったが、あと1年で終わると思えば頑張れた)
そうして目指した学校には入れたし、中学高校と楽しく過ごすことができた。
その頃できた友人とは今もグループで集まり、お互いの子供を連れて遊びにいったりしている。
そうしてアラサーになり、振り返って思うのは、『中学受験の勉強は大人になってからの生活を豊かにする基礎になる』こと。
無駄なこと、何一つない。
もちろん成績トップクラスの上澄ぐらいの域になると『必要ないのでは…』と思うレベルの問題もかなり出てくるけど。
基本的には未来の礎となる知識の数々を、幾度となく反芻させるのが中学受験だと私は思っている。
そして何より、子供は特に“朱に交われば赤くなる“生き物。
多感な時期を、良い友達が集う、良い学校へ。できるなら通わせてあげたい。
お互いを上へ引っ張り合える環境に置いてあげたい。私はそれで幾度も救われてきたから。
そういう気持ちで、自分の子供が“勉強アレルギー“でさえなければ、中学受験を考えていた。
反してズボラな私
ここまで上昇志向なことを書いていると、さぞや幼児期から素敵な知育を施していたのだろう…と思われそうだが何もしていない。
何より、息子は満3歳まで宇宙人だった。言葉を、日本語を、喋らなかった。
赤ちゃんの頃からおしゃべりな子。しかし全く何を言ってるのかわからなかった…いくつかの単語と2語文、そして言葉でない言葉を、はちゃめちゃに組み合わせて話す。
話したい情熱はあれど、言葉の発達が追いつかない様子だった。
年少まではほぼ宇宙語だった。
年少の1学期終わりに、幼稚園から発達相談窓口の用紙を渡されたほどだった。
3歳でも全く喋れない、発達の遅い息子
もう中学受験のことなど、その頃は夢のまた夢だった。
まず日本語をどうにかしなければと。発達相談窓口から紹介してもらった療育に通った。
療育のおかげなのか(月1−2しか通ってない)、ただただ息子が発達段階にきたのかわからないが。年中から飛躍的に言葉が伸びた。言葉での意思の疎通がそれなりに取れるようになって安堵した。
そして、年長になり、同じ年代の子とごく変わらず喋っている。もちろん達者な方ではないにしろ、ごく普通の子だ。
こうして年中から、少しずつ幼児教育のようなものを始めようかと思うのだった。