完母に至るまで

産後、完全母乳に至るまでの記録です。

どうして完母を選択したのか ~事前準備編~

完全母乳にするか粉ミルクも取り入れるのか、両方良いとこどりするのか。
それ以前に、私から本当に母乳なんてものが出るのだろうか。

妊娠中、様々な意見を目にしながら悩んでいました。
とはいっても母乳は基本、産後から出始めるものですから、あんまり悩んだって仕方がない。
そんなふうに思っていたら、実母から言われました。

「あんたは母乳がいいよ」

なんで、と聞いたら「そりゃあ面倒くさがりだからさ」と。

「粉ミルクにしたら、一日何回も哺乳瓶洗わなきゃいけないんだよ。」
「その点、完母だったらおっぱい出すだけだからね。超ラクだよ。」
「外出することになったらその分荷物増えるしさ。」

ははあ、確かに。
母は二人の子供を産みましたが、一人目は粉ミルクで二人目は完母にしたという経験談を幾度も聞いていましたから、雑なおすすめでも説得力がありました。
家事の中で一番洗い物が嫌いな私は、それだけで完母を目指そうと決めたのでした。

-完母を選んでよかったか?

ちなみに完母が本当に楽だったかというと、大変なこともたくさんありました。
何度も乳腺が詰まって痛い思いをし、病院や助産師さんのマッサージに数回通いました。

「脂っこいものや甘いもの食べたら詰まりますか?」と助産師さんに聞いたところ「全く関係ない」ときっぱり。
ストレス解消も兼ねて、気にせず好きなものを食べていました。

粉ミルク代の代わりに食欲が倍増したので、粉ミルク育児より金銭面ではオーバーしてると思います。(笑)
そりゃそうですよね、母乳は血液から作られているといいますが、健常な人でも毎日1リットルもの献血をできるでしょうか?
でも実際吸い取られていくんですから、母体はいくらエネルギーを補給しても足りないですね。
いくら飲んでも食べても体重は少しずつ減っていきました。

問題は、いずれくる卒乳後です。
不要になるおっぱい、しかし胃のサイズは変わらない…食事を減らしたつもりでも、多分全然多い。でもお腹減るんだもん。
そうこうしてるうちに+10kgです。ええ。

そして完母だと、お母さんが赤ちゃんを預けて家を出ることが厳しくなるので、ずっと赤ちゃんに縛られることになってしまいますね。もちろん搾乳して冷凍するなどでとっておけば、他の人が哺乳瓶から与えることもできますが、私の場合、安定して母乳がたくさん出るようになったのは生後3か月くらいのときだと思います。
余分に搾乳できるようになったのはもう少し後のことでしたので、半年くらいは赤ちゃんと一心同体で過ごしているような感覚でした。

だけどやはり洗い物がないことと、出先の荷物が少しでも減ることはもちろん、寝かしつけへの活用…など、自分的にはメリットの方が上回りました。

こればかりはメインでお世話する人の都合に合わせて選択するのがよいでしょうね。
どれを選んだって一長一短ですから。

-妊娠中、準備万端のつもりだった

そうして産後母乳が出るよう、お風呂上りに乳首をマッサージするなど、スムーズに母乳がでるよう妊娠中は自分なりに努めました。
妊娠前・妊娠直後はつまもうがひっぱろうが、うんともすんとも言わなかった我が乳首。
ですが妊娠後期になってしばらくすると、マッサージ中に角栓のような黄色い分泌物が出てきたはありませんか。

ただのお飾りではなかったのね!

体は子供を育てるために着々と準備をしているんだわ、とようやく実感が湧いたのを覚えています。
妊娠後期でしたからお腹はもう随分大きくなっていましたし、胎動も感じていましたが、どうしても自分から新しい個体が誕生するなんて信じられずにいたのです。

それからもマッサージを続けていると、じんわり乳汁のようなものが出るようになりました。
私は思いました。

こりゃ完母でいけるわ!と。
なんの問題もなく私は産後すぐ授乳できるのだろうと、そんな自信と確信がありました。

でも結果を先にお話ししますと、そんなことはなかったです。
しいていえば、まったく出ませんでした。そりゃ、マッサージするとじんわりでますけども、じんわり。それだけです。
赤ちゃんがおなかいっぱいになる量を出すなんて、夢のまた夢。

入院中、授乳がうまくいった試しなんて一度もなかったです。

そんな私の完母に至るまでの奮闘をこれから記していきたいと思います。

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